7. 「やってみればわかるのにな」

大会の名称は第1回空手競技会で開始は正午。大学の空手部関係者など約1000名が後楽園ホールで観戦した。クローブを着けた3分3ラウンドの試合が7戦行われ、すべての試合が1~2回のKOかTKO(打倒、準打倒)で決着したこの試合には、後のキックボクシングのスター・錦利弘こと錦織利弘も出場していたが、この時は強豪・藁谷繁に敗れている。

その頃、寸止め空手を指向する大多数の流派から、実際に当てて試合をする日本拳法空手道は「邪道空手」などと言われたりしたという。また一般の人には空手イコール試し割りくらいの認識しかない時代だった。

そのため、試合中は会場をやじが飛びかったが、試合後「飛び入りで出場したい方がいらしたら、誰でもお相手します。どなたか出たい人はいませんか?」とアナウンスをすると、誰一人申し出る人間はいなかった。

この大会は多くの新聞に掲載されたが、その多くは酷評といえるものだった。もちろん初の試合で競技として成熟はしていなかっただろうが、「正統派?うたう空手競技会」などという見出しを見ると、当てる試合は邪道だとする空手界の風潮に、報道もいく分左右された面もあったのかも知れない。

新聞へのコメントて山田辰雄は「将来はもっとすっきりした形の競技にまとめ上げ国体はもとよりオリンピックにも参加したい」と答えているが、以後、この大会が定期化されることはなかった。

こうした酷評に対して、山田辰雄は多くを語らなかったという。ただ「やってみれば分かるのにな」とひと言言っただけだった。

この時、山田辰雄、57歳

翌昭和38(1963)年、当時、極真会にいた黒崎健時、中村忠、藤平昭雄がタイ・バンコクて空手家として初めてムエタイと対戦する。

1コメント

  • 1000 / 1000

  • the Prince3sevens

    2023.10.04 05:13

    Do you train Nippon kempo online?