5. 強者たちとの親交
昭和20年代から、山田辰雄は「怪力法」(1938年刊)の著者である若木竹丸とも親交があった。その関係で息子の山田侃や弟子の萩原茂久などを、若木の下に送り、怪力法を修行させた。「また、講道館で柔道を、相撲学校で相撲を学ばせたりもした。
"勝負技術"という言葉を山田辰雄は口にしたという。それは、競技ではない戦いの技術、武術としての戦いの技術である。「ボクシング、剣道、すもう、柔術とすべてを習い、戦うときには白紙になってやれ、というのが山田辰雄の教えだった。
同時期、山田辰雄の門下には、大山倍達(現・極真会館総裁)や森良之祐(現・日本拳法協会最高師範)なども訪れ、親交があった。「武術的な実戦空手を教える一方、日本拳法空手道では、飯田橋に道場をかまえた昭和30年頃から、稽古の一部にクローブを使用し始め、杉並ジムの名でアマチュアボクシングの選手も輩出し始めていた。
中には井上、神山などウェルター級・ミドル級てアマチュア王者に君臨する選手も出る。
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