13.杉並ジム復活
日本拳法空手道本部は東京・杉並区高円寺に場所を移している。
平成4(1992)年、杉並ジムとしての活動も再開。同年7月の全日本キック興行から選手を送り始めている。
山田侃の名刺の肩書きはこう刷られている。
「日本拳法空手道本部全日本空手競技連盟代表師範」
それは山田辰雄の志そのままの名称である。
本部朝基-山田辰雄その強さを知られつつも、空手界から黙殺された、この2人がいなければ、あるいは山田辰雄がもう10年長く生きたなら、実戦空手の歴史は全く違うものになったかも知れない。
日本拳法空手道本部は東京・杉並区高円寺に場所を移している。
平成4(1992)年、杉並ジムとしての活動も再開。同年7月の全日本キック興行から選手を送り始めている。
山田侃の名刺の肩書きはこう刷られている。
「日本拳法空手道本部全日本空手競技連盟代表師範」
それは山田辰雄の志そのままの名称である。
本部朝基-山田辰雄その強さを知られつつも、空手界から黙殺された、この2人がいなければ、あるいは山田辰雄がもう10年長く生きたなら、実戦空手の歴史は全く違うものになったかも知れない。
0コメント